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創業ストーリー

創業ストーリー

現在のMACオフィスはどのような歴史を歩んできたのか?
MACオフィス創業のストーリーをご紹介します。

1994年~
社会人黎明期:会社員時代

日本の動き
2月 初の純国産大型ロケットH-IIの1号機打ち上げ成功
9月 関西国際空港開港
幼少期の頃の写真
世界の動き
2月 ノルウェーにてリレハンメル冬季オリンピック開催
5月 イギリス・フランス間の英仏海峡トンネル開通
イギリス・フランス間の英仏海峡トンネル開通

私は大学卒業後、約3年間、システム開発会社の営業マンとして仕事をしてきた。工学部を卒業したにも関わらず、なぜ「営業職」を選択したのか、しばしば聞かれる事があるが、私にとってその選択に全く違和感はなかった。両親が営む大阪の小さな文具店の長男として生まれ育った私にとって、「商売=営業」という方程式しか持ち合わせていなかったので、営業マンになるのは自然な事だった。私の社会人1年目の7月、当時は複数の営業課長が欲しい新入社員を選んでいくという方法で配属先が決められていた。後に聞いた話だが、私は同期の営業社員の中で、一番最後まで選ばれなかったらしい。そして、営業マンとしての初受注時期も同期生の中では一番遅く、彼等から「オマエの初受注は難産やな~」とよく揶揄されたものだ。私の社会人としての人生はそんな惨めな体験から始まったのだ。しかし私は、持ち前の楽観的な性格と秘めた闘志でそんなプレッシャーも跳ね除けながら、僻まず妬まず嘆かず、常に前向きに、飛び込み営業による新規開拓に明け暮れた。その後、貯まりに貯まった名刺の山からリピートコールを繰り返した結果、受注案件が大量に発生した。今から思えば、潜在顧客のダムを作っていたのだ。お蔭で2年目からはトップセールスマンの一員となり、以後退職するまでの約2年間は毎月のように優秀営業マンとして表彰されていた。営業マンとしての実績も上がり、同時に周囲からも信頼されてくると、自信もヤル気も増し、仕事は更に楽しくなっていった。そのような会社員として絶頂の時期に、両親から「文具店の後を継いで欲しい」との依頼を受けた。それまでも何度かは断ってはいたが、今度ばかりは断れない様子であり、私が最終的に折れて腹を括る事にした。

1996年~
人生転換期:月給10万円スタート

日本の動き
2月 羽生善治氏が史上初の将棋タイトル7冠独占を達成
12月 広島県の原爆ドームと厳島神社が世界遺産登録
広島県の原爆ドームと厳島神社が世界遺産登録
世界の動き
3月 百武彗星大接近
7月 アメリカにてアトランタオリンピック開催
百武彗星大接近

1996年11月26日、図らずして、大阪の小さな文具店の経営に携わる事になった。「企業30年説」という言葉があるが、偶然にもその年は創業30年目に当たる年であった。当時の全従業員は、父・母・姉・配達員2名の合計5名であった。新卒から社会人となり、2年7ヶ月の営業マン経験しかない私に一体何が出来るのか?両親は私に何を求めているのか?と考えるのも束の間、衝撃的な事実が明らかになった。約8,000万円の長期借入金があるにも関わらず、赤字決算の自転車操業で単月赤字も長く続いていたのだ。私の両親は、バブル期にも大きな投資をせず堅実に経営をしてきたので、バブル崩壊後も致命傷になるような大きな傷は受けていなかった。その甲斐あって何とかバブル崩壊後の数年を乗り越えてきたが、世の中のOA化の波に完全に乗り遅れ、既に文具店はジリ貧の茹でガエル状態になっていた。また5名とも業績に見合った給料ではなく、長期借入金を食い潰し生きながらえていただけなのだ。そのように倒産もしくは廃業寸前という環境の中、私が入社し最初に手を付けた仕事は、両親と実姉の給料の見直しである。いわゆる聖域であり、26歳の私には非常に高いハードルの仕事であった。3名には減給に関して納得はしてもらえなかったが何とか妥協をしてもらい、その代わり、当時独身であった私の月給は10万円にする事を自分自身で決めた。会社員時代の年収500万円と比較すると、実に76%DOWNである。ここでも私の楽観的な性格がそうさせたのかもしれない。「聖域に手を付ければ、怖いものは何もない、失うものも何もない」と自分自身に暗示をかけ、そこから「小さな文具店の再建計画」を一人で練り始めた。

1997年~
文具店再建期:病院・学校法人

日本の動き
3月 大阪ドーム(現・京セラドーム)・ナゴヤドーム完成
4月 消費税率が3%から5%に引き上げ
大阪ドーム(現・京セラドーム)・ナゴヤドーム完成
世界の動き
2月 世界初のクローン羊「ドリー」誕生を発表
9月 インドネシアでシーラカンスの新種、ラティメリアの現生を確認
イギリス・フランス間の英仏海峡トンネル開通

「try and error」で試行錯誤を重ねた結果、大阪府下にある全ての病院と学校を回ってみようと考えたのである。理由としては三つある。一つ目の理由は、商材が文具しかなく、それを大量に販売しなければ収支が合ってこないからである。二つ目の理由は、病院や学校の方が門前払いに会いがちな受付を突破しやすいと感じたのである。三つ目の理由は与信管理である。公な病院や学校法人に貸倒れに合う確率は極めて低いと判断した。前金というわけにはいかないが、基本的に売掛債権が増えても、未回収の心配をする必要はないに等しい。こちらサイドは資金繰りさえ気にかけておけば、決まった期日には確実に入金されるのだ。一般企業への法人営業も考えたが、文具店の立地が郊外にあり、オフィス街である大阪市内まで文具を配達するとなると非常にアクセスが悪かったのである。加えて一般企業は、売掛回収条件も懸念材料としてあった。病院・学校法人営業開始前に、事前準備を怠ってはならないという事で資料作りを始めようとしたのだが、この文具店には、パソコンやプリンターはおろか事務用デスクやチェアまで存在しなかったのである。ではそれまでどうしていたかというと、見積書や納品書、請求書は全て手書きが当たり前、コピー機(コピーサービス用)の上がデスク代わりであり、立ったままで作業を行っていたのである。まず私が営業活動前に行った事は、前職の後輩からパソコンとプリンターを安価で調達させてもらった事と、不要になったデスクとチェアをお客様から譲り受けた事である。そもそも文具店内には執務スペースもないので、その一部を自分たちで改装し、クロスや床材を張り替え、高さや幅も不統一な旧規格の4台のデスクを並べた。チェアは身体を動かすたびに、キィーキィーと音がするが、そもそも廃棄処分をするようなシロモノ、音ぐらい気にしてはいられなかった。そんなこんなで準備を完了させ、会社員時代と同じく、連日の飛び込み営業による新規開拓をスタートさせたのである。その戦略が功を奏して、4年後の売上高は、約2倍の2億円となり、新たに2名の営業マンを増員したのである。

2000年~
事業多角化模索期:初のオフィスレイアウト

日本の動き
7月 新紙幣2000円札発行
12月 BSデジタル放送開始
新紙幣2000円札発行
世界の動き
9月 オーストラリアにてシドニーオリンピック開催
12月 2千年紀、20世紀終了
オーストラリアにてシドニーオリンピック開催

新規で開拓した大病院の購買担当課長からのご依頼で、文具屋の兄ちゃんで何の設計知識もない私に一室(約15坪)のオフィスレイアウト変更について相談をしてきた事があった。もちろん当時は、設計者もデザイナーも在籍していないので、お客様のご要望をしっかりお聞きした上で、私の手書きでオフィスレイアウトを作成した。そのレイアウトを非常に気に入ってもらい運よく受注、更にオフィス家具まで新調して頂いたのだ。当時はインターネット環境もままならぬ状態で、CADソフトも今のような汎用性のあるものではなくハイレベルなものばかり、簡単に小さなオフィスのレイアウトをしてくれるような会社は今のように存在しなかった。「この仕事は面白い、そもそも文具を何百万円も購入して頂こうと思えば、ボールペンを何本?ノートを何冊?消しゴムを何個?」という計算に入ってしまったくらいだ。「よし、この仕事は売上単価を上げられる、これを事業に取り入れよう!」と、まずは新規開拓をして安定化してきた既存顧客(病院・学校法人)に宣伝をする事から始め、経費をかけないように小さなスタートをきった。

2002年~
経営理念制定期:松下幸之助翁との出会い

日本の動き
7月 日本初の同年ダブルノーベル賞受賞
5月 日本経済団体連合会(日本経団連)発足
日本初の同年ダブルノーベル賞受賞
世界の動き
2月 アメリカにてソルトレークシティ冬季オリンピック開催
5月 サッカーワールドカップ日韓大会開催
サッカーワールドカップ日韓大会開催

第二創業から6年後、売上も順調に伸び、一人ずつ堅実に採用してきたが、売上高3億円にもう少しで手が届くという頃、「あなたにはついていけない!」と1人、そしてまた1人と会社を去っていった。その当時の私には、何の理念もなく、「ただ、売上を上げて儲ける事」しか考えていなかった。そして全従業員数は、一時的に配達員2名を含む、両親、実姉と私の原点に戻る事になった。その当時よく従業員に対して使っていた言葉は、「オレに出来て、なぜ貴方には出来ないの?」「オレの言う事を聞いていれば間違いはない、言う通りにやっていればいい!」「違うやろ、もっと頭を使わんかい!」「なんでやねん!」等々、今あの当時を思い出すと否定語のオンパレード、恥ずかしいセリフばかりであり、何の勉強もしていないのは私自身なのであった。そんな事にも一切気づかず、鈍感であった私は、「辞めたいヤツは辞めろ、去る者を追わずや!」と自己の反省の欠片もなく平然と仕事をしていた。そんな時、たまたま書店で「松下幸之助」という方の書籍を手に取った。経営で気になるキーワードを見つけたのか、「指導者の条件」というタイトルが気になったのかどうかは忘れたが、その書籍を購入する事にした。本書では「指導者の条件」として102項目をあげており、前書きの中で翁は、「一つの国でも、優れた指導者がいれば栄え、指導者に人を得なければ混乱し、衰えていきますし、会社でも、社長しだいで良くも悪くもなります。会社の中の一つの部や課にしても、その部長なり課長の良し悪しで、業績が全く変わってくるわけです。」とある。私は本書を自らの座右の書として、折に触れ102項目を何度も何度も読み返し、自分を正す資としてきたが、読むたびに教えられ、反省させられる事が多く、良き指導者への道ははるかに遠い道のりであるという思いが益々深まるのであった。故に、組織の大小を問わず、指導者の立場にある人は、そうした自分の責任の重大さをよく認識し、自分の在り方について、絶えず反省、検討しなければならないと思うようになった。松下幸之助翁との出会いにより、「従業員離脱の原因は彼等にあるのではなく、自分自身にあるのだ」と自覚、そして深く反省した。それからというもの、新しく入社した従業員の皆様にも、決して驕らず謙虚な姿勢で接し、翁のモノマネで教育をするようになり、徐々に私の事を理解し、心の扉を開けてくれ、同時に成長していってくれたかと思う。以後、書店には頻繁に通うようになり、翁の書籍を購入しては、それをむさぼり読むようになった。夢中になり、気が付けば朝方まで読んでいた日も多くあったが、お蔭様で腹の底から改心し、「従業員あっての会社、従業員がいてくれているからこそ私も仕事をする事が出来る、そもそも私自身が生きているのではなく、生かされているのだ」という考え方を持つようになった。そこから、「会社は誰のものか?」「何のために働くのか?」「何のために生きるのか?」という事も更に真剣に考えるようになったのである。それと同時に、翁の勧めで、経営理念の必要性を認識し、まずは全従業員のために経営理念の策定を誰にも相談する事なく一人で取り組む事にした。とはいうものの、経営理念はどのようにして作るのか?まずは、書籍とインターネットで調査しようと試みたが、時代が時代、今のようにインターネットでは検索不可能という事で、書店での立ち読みで一通りの学習をした。基本的な価値観や会社の存在理由を書き出し、それを頭の中で整理し、社是・社訓も考えた。その時に半年をかけて原型を作成し、そこから5年程をかけて何度かの改訂を行い、現在の経営理念体系となったのである。特に心構えや行動指針に関しては、社会人として何が大切かというよりも、まずは一人の人間として何が大切で何が必要でどのような考え方でいる事が周りの人々を幸せに出来るのかという事に焦点を置いた。私たちは現在、この経営理念体系を毎朝の朝礼で声を合わせて唱和し、会議の場では必需品として扱い、これを判断基準とし、全従業員「経営理念に従い、誠実に行動をする事」を常に意識している。

2003年~
事業多角期:集客Webサイト開設

日本の動き
4月 日本郵政公社誕生
12月 地上デジタルテレビ放送開始
地上デジタルテレビ放送開始
世界の動き
4月 音楽ダウンロード販売サービス「iTunes Music Store」開始
8月 火星大接近
音楽ダウンロード販売サービス「iTunes Music Store」開始

元々は文具で新規開拓をした既存顧客へのオフィスレイアウトサービスPRも一巡した。特に病院に関しては言えば、予想を上回る需要があり、案件の発掘作業から始まり、ヒアリング→提案を繰り返し、受注に至れば手配業務→納品及び工事、そして売上債権回収を行うという業務に多忙を極めた。こちらは小さな零細企業、お客様からは厳しい支払条件を提示される事も少なくはなかったが、熱意を持って交渉し、出来るだけ支払サイトを短縮してもらった。取り扱いサービスは、事務室内の改装、クロスやカーペット張替、壁面塗装、家具やカルテ保管庫の調達、看板製作、造作家具、新病院建設やクリニック開業に伴う新規家具の選定及び調達等、特に、病院でよく使うロビーチェアや応接イスの生地張替サービスは当たった!この年の5月、後に事業の柱となる集客Webサイトを開設した。コンテンツは、オフィス設計デザイン事業に加えて、無料のコピー機レンタルを付加価値サービスとして盛り込んだ。現在は事業部門を閉鎖し、他社へ譲渡したが、一時期は最高で単月200万円の利益を稼いでくれていた事業である。しかし私は、「コピー機レンタルの事業でNo.1になる事は難しい、餅は餅屋、運よく先行者利益は獲得したが長くは続かない、必ず参入企業が増え、いずれ当事業は衰退する」と考えていた。私はこの事業をダムと定め、「このダムに水が溜まっている期間を3年と仮定し、その間にオフィス設計デザイン事業を主軸にしよう!」と心に決めた。しかし、この当時の日本経済の景気加速は衰えを生じなかった。コピー機レンタル事業は、最終的に利益こそピーク時の三分の一になったものの、事業売却までの6年間、ダムの役割を十分に果たしてくれた。そのダムの水を利用して、オフィス設計デザイン事業を主軸にするために、今までのような付け焼刃ではなく新たに業界営業経験者を採用する事で、オフィスファシリティの専門的サービスを提供する事が可能となった。引き続き、新規の集客活動は私の専任ではあったが、新たにWeb集客という革新的な方法を取り入れる事が出来た。当時のWeb製作会社の社長様に、「集客におけるスーパーセールスマンを一人採用するのと同じくらい価値あるホームページを作りましょう!ホームページは完成すればそれで終わりではない、それはスタートであり、人を育てるのと同様に、手塩にかけて下さい」と言われた事を思い出した。確かに、完成度の高いホームページの威力はスゴイ!

2005年~
事業草創期:8坪のオフィス開設

日本の動き
3月 日本国際博覧会(愛知万博)「愛・地球博」開催
10月 郵政民営化関連法案成立
MACオフィス
世界の動き
7月 スペースシャトル「ディスカバリー」打ち上げ成功
9月 携帯音楽プレーヤー「iPod nano」発売
スペースシャトル「ディスカバリー」打ち上げ成功

「無料オフィスレイアウト」というコンテンツを売りにした集客Webサイトが当たり、営業活動をしなくてもホームページを通して手に余るほどの仕事が入ってくるようになった。これを機に、大阪市内のオフィス街に8坪のサテライトオフィスを開設する事にした。それが現在の大阪オフィスのスタートであり、その時に初めて設計デザイン経験のある女性スタッフ1名と男性の営業経験者1名を中途で採用し、私を含めて4名で再スタートをした。直ぐに手狭になりそうだったので、近くの30坪程のオフィスへ移転する事を決め、8坪のオフィスで採用活動を行った。今のように人材紹介会社を利用するほどの余裕もなかったので、一番コストのかからないインターネットを活用し、採用広告を打ち出した。面接エントリーは入るが、良い人材であってもなかなか採用までには至らない。そもそも辞退者の方が多いのである。更には、予定の面接時刻になっても来ない人も何人かいた。6階のオフィスから下を覗くと、それらしい人が帰っていくのだ。最初のオフィスは繁華街の雑居ビルで、1階には飲食店、階段の踊り場にトイレ、執務室の木製の扉は開閉時にキーキーと音がしてうるさい。薄暗い廊下には灰皿が置いてあり、そこが喫煙スペース様なグレードであった。オフィスをデザインする会社イメージとのギャップが大き過ぎたのである。結局、その場所では1人も採用出来ず、移転をしてから採用活動を行った。リクルーティングにおいて、オフィスビルのグレードの重要性を思い知ったのである。

2006年~
事業成長期:スターティア社との出会い

日本の動き
1月 郵政民営化の企画準備担当として日本郵政株式会社発足
2月 神戸空港開港
郵政民営化の企画準備担当として日本郵政株式会社発足
世界の動き
2月 イタリアにてトリノ冬季オリンピック開催
6月 サッカーワールドカップドイツ大会開催
イタリアにてトリノ冬季オリンピック開催

大阪のみを拠点にしているのには変わりはないが、順調に業績も上げ、仕事の質・量共に向上していた。先代が残した負の遺産である借入金もほぼ全額完済出来る目途が立ったのはこの時期である。ある日、大阪オフィスに1本の営業電話が入った。電話の相手は、東証マザーズに上場して間もない従業員100名程度で新宿に本社を置く会社の経営戦略室の方であった。その会社は後の資本業務提携先となり、その会社(スターティア株式会社:東京証券取引所 第一部上場 株式コード3393)の連結対象の関係会社(持分法適用会社)になるとは、当時の私は夢にも思わなかった。その当時は、東京本社の会社様が大阪に支社や支店、または営業所を開設するという仕事が多く入ってきていたが、ここで大きな問題が浮き彫りになってきた。商談の提案段階までは良いのだが、最終決済になると東京本社に稟議を上げなければならない会社様がほとんどであり、その際に物言いが入り、東京本社と取引のある同業他社が横から商談に割り込んでくるという案件が多く出てきたのだ。これでは、我々のスタッフのモチベーションが下がる一方である。当時の私の人生計画では、東京進出を2008年頃としていたので、改めて進出時期については真剣に考えるようになった。

2008年~
経済混乱期:「毎日半ドン」実施

日本の動き
7月 iPhone日本初上陸
9月 「リーマン・ブラザーズ」日本法人が民事再生法適用申請
iPhone日本初上陸
世界の動き
8月 中国にて北京オリンピック開催
9月 アメリカの大手投資銀行「リーマン・ブラザーズ」経営破綻
アメリカの大手投資銀行「リーマン・ブラザーズ」経営破綻

2008年9月15日、米国の金融危機を発端にした未曾有の世界不況というショッキングな出来事が起こった。この頃の私は翌年の東京進出を目指して、エリアや条件を整理しながらオフィス物件を物色していた。しかしながら、その「リーマン・ショック」以降というもの、新規お問い合わせに忙しくしていた毎日とは一転、約1ヶ月間は1日に1本の電話すらならないという毎日が続いたような記憶がある。今、改めて考えても恐ろしい状況であるが、その時は誰にも先が見えないものであり、関西ではあるものの「いざなみ景気」の影響で企業のオフィス拡大需要が活発、我々は多少その波に乗っていたが、需要はピタッと止まり、現実として「毎日やる仕事がない」という日々が続いたのである。その時、「毎日半ドン制」でオイルショック不況を乗り切った松下幸之助翁を思い出し、毎日半日だけ勤務する「毎日半ドン」を弊社でも実施した。現場の者たちは皆、最初のうちは労働時間が短くなったと喜んでいたが、そのうちに会社の事が心配になってきた様子であったので、皆の前で私から以下のような説明をした。「弊社は、今まで利益を生みだし、正しく税金を払い内部留保してきました。現在、実質の無借金で現金は2億円あります。不況だからといって解雇しませんし、1年間この状況が続いたとしても、この会社は絶対に倒産しません」と言い切ったのだ。

2009年~
事業拡大期:東京オフィス開設

日本の動き
7月 若田光一氏、日本人初の長期宇宙滞在を終えて帰還
9月 民主党に政権交代、鳩山由紀夫内閣発足
若田光一氏、日本人初の長期宇宙滞在を終えて帰還
世界の動き
1月 バラク・オバマ氏がアメリカ合衆国大統領に就任
12月 デンマーク・コペンハーゲンにて国連気候変動会議「COP15」開幕
デンマーク・コペンハーゲンにて国連気候変動会議「COP15」開幕

両親や姉、親戚、一部の社員からの反対を押し切るような形ではあったが、予定通りに、2009年3月1日、東京オフィスを開設した。大阪から3名を連れ、私を含めて4名で赤坂1丁目の40坪のオフィスビルでスタートをした。一人10坪のオフィスで東京進出をチャレンジングにスタートした私は、最初こそは苦労したものの、その1年後には増床する等、引越し貧乏になる事なく順調に事を進めてきた。東京進出してから間もなくして、役員陣の刷新、「選択と集中」による文具事業からの撤退を行った。それは事実上、両親に対する引退勧告をも意味する事になる。「家族を優先するか、全従業員の幸せを追求するか?」「私は親不孝者なのか?」「そもそも会社は誰のものか?」、判断基準を明確にしなければ決断が出来ない内容である。26歳から経営に携わるようになり私を悩ませる問題事項は数え切れないが、今でも判断基準が定まらない場合は中国古典を参考にしている。私の周りには経営者のお手本がいない。また良き師匠も先輩もいない、何でも一人で考え、何でも一人で解決してきた。このような時の私のバイブルは、「松下幸之助の本」と「中国古典」である。この時も同様にヒントを中国古典の中に求めた結果、「大義、親を滅す」という恐ろしい故事に出会った。その時の決断に後悔はしていないのだが、父親だけではなく、母親と実姉とも、それぞれ親子間、姉弟間の確執を生む事になったのだ。しかしそのような背景であったからこそ、反面教師が身近にいたからこそ、私は、従業員みんなが安心して、喜んで働いてくれるような会社にしたい、更には広く社会から信頼と尊敬を受けるような立派な会社にしたいという気持ちがより一層増したのである。この意味からも、経営者である私には、まずは自分が率いる集団、全従業員の皆様を幸福にする責任があると経営の基本目的に記し、自分自身の心に誓ったのである。

2016年~
事業発展期:経営理念の改訂

日本の動き
1月 マイナンバー制度開始
5月 先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)開催
先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)開催
世界の動き
6月 イギリス国民投票でEU離脱派が勝利
8月 ブラジルにてリオデジャネイロオリンピック開催
ブラジルにてリオデジャネイロオリンピック開催

企業経営に携わり丸20年、思い切って経営理念を改訂し、新たにMACオフィス フィロソフィーとして、「ビジョン・ミッション・バリュー」を制定。私は父母から26歳で丸池文具店を任され、36歳で赤坂に東京オフィスを開設し、同時にMACオフィスという会社名に変更した。東京に進出してからの事業拡大に伴う人事や組織マネジメントでは数え切れないほどの失敗があった。しかし、失敗の中から、経営の原理原則を考えながら、実践を繰り返し、またそこから学習して、それを実践していく事で、何とか、ここまでやってくる事が出来た。IT技術の今後の発展と共に、具体的な技術進化の先にあるものは、施主からのリクエストに対して、世界中で働く人々が互いに結び付き、協力し合い、アイデアや知識を共有し、一つのプロジェクトを円滑に進めていけるようなビジネス社会の到来である。これからますます働く環境や働き方が多様化する中、「より良い働く環境をデザインするリーディングカンパニー」として、働く環境に新たな価値や選択肢を生みだし、この業界に携わる人々の「多様な働き方プロバイダー」を目指す。また私自身、「そこそこ出来る経営者」ではなく、「社会に大きく貢献し、社会を良くする経営者」を目指し、これからも日々精進していく所存である。

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